※映画に関して、若干のネタバレ要素があります。
こんにちは、歴くまです。
昨日は新海誠監督の新作映画「天気の子」が公開されましたね。
私は公開初日に観に行ってきたのですが、とても良かったです。
「天気の子」では、天気の巫女である陽菜が空に祈ると必ず晴れました。
そして歴史上でも、天候が戦いの趨勢や政治の方向性を左右する場面が多くありました。
今回は、そんな天気が歴史を変えた場面を見ていきたいと思います。
桶狭間の戦い
桶狭間の戦いは、尾張国桶狭間で行われた織田信長と今川義元の戦いです。
この合戦に勝利した信長は、急速に勢力を拡大していくことになります。
信長は桶狭間で義元の本陣を急襲し、義元の首をとったと伝えられています。
そのとき信長が率いていた兵は二千ほどでしたが、この規模の兵が敵に気付かれずに本陣まで接近するのは難しいと思います。
しかも奇襲した時刻は昼過ぎ。通常の天気であれば発見されて防衛体制を整えられる可能性もありました。
そんな中、信長を救ったのは豪雨でした。
昼頃から降り出した豪雨が、兵が移動する動きや音を今川軍から隠したのです。
この天の助けもあり、信長は義元に勝利。
ちなみに、信長は戦いの前に熱田神宮へ行き、戦勝祈願をしています。
映画では、陽菜が神社の前で晴れるように祈るシーンがありますが、信長は雨になるように祈っていたのかもしれませんね。
長篠の戦い
長篠の戦いは信長の鉄砲隊が武田勝頼の騎馬軍団を破った戦いとして有名です。
信長は設楽原に馬防柵を築き、勝頼を迎え撃ちました。
時期としては旧暦の5月、現在の6月下旬にあたります。
ここで、勘の良い方であれば「あれ?」と思うかも知れません。
そう、鉄砲は雨天時には使えないのです。信長は、そんな梅雨の真っ只中に勝頼と決戦することにしたのです。
しかし、天はまた信長を助けます。
決戦当日、長篠に雨が降ることはありませんでした。
武田軍は織田軍の鉄砲の前に一人、また一人と倒れていったのです。
信長は再び天気を味方につけ、武田氏の勢力を大きく削ぐことに成功しました。
日本海海戦
日本海海戦は、東郷平八郎が率いる日本の連合艦隊が、ロシア帝国のバルチック艦隊を壊滅させた歴史的海戦です。
バルチック艦隊の敗因としては、日英同盟によりイギリスからスエズ運河の通航を許されず、喜望峰を通る遠回りルートで日本海まで行かなければならなかったことなどが挙げられます。
しかし、敗因は天気にもありました。
連合艦隊からの電文に「天気晴朗ナレドモ浪高シ」という一文があります。
晴れているということは砲撃の命中率は高くなりますが、波が高いと船体が揺れるので命中率は低下します。
バルチック艦隊は巨砲を搭載した戦艦が多く、破壊力は大きいですが、撃つまでに時間がかかりました。
一方、連合艦隊には巡洋艦や駆逐艦などの速射砲を備えた艦船が多く、また訓練のおかげで射撃精度も向上していました。
海戦当日のような風が強くて波が高い天候は、砲撃の命中精度が高い連合艦隊に味方しました。
この勝利は欧米列強をはじめ、世界各国を驚かせました。
そして、日本は列強の仲間入りを果たすのです。
まとめ
天気が歴史を変えた事例は、数えきれないほどあると思います。
しかし、今まで歴史を天気という切り口から見たことが無かったので、新鮮な感覚でした。
勝手な想像ですが、歴史を創った人々の裏には、映画のような「天気の巫女」がいたかもしれませんね。