こんにちは、歴くまです!
年が明け、2022年(令和4年)が始まりました。
元日ということで私はゴロゴロしていたのですが、ふと思ってしまいました。
「なんで今日が元日なんだろう?」
哲学的な意味ではなく、なぜ冬のこの時期を年始に定めたのか気になったのです。
そこで、なぜ現在の1月1日が元日、年始となったのか、誰がどうやって決めたのか、経緯を調べてみました。
暦の変遷
年始を考えるうえで、暦の存在はとても重要です。
なぜなら、暦によって1年をどのように設定するかが決まるからです。
1年を何月、何日と考えるかは、暦により異なります。
まずは、暦がどのようにして現在のようになったか見ていきたいと思います。
ロムルス暦
ロムルス(兄)とレムス(弟)
ロムルス暦は、古代ローマで採用された最初の暦です。
ローマを建国したとされる伝説の王ロムルスの名を取り、ロムルス暦と呼ばれています。
この暦は、1年を10個の月(ひと月約30日)と冬の期間(約60日)で分けていました。
当時のローマは農耕社会だったので、耕作しない冬の期間は暦が必要なかったのです。
何となくぽかぽか春めいてきたな~という日に、王が新年を宣言していたと考えられています。
なので、この時代のローマの年始は3月頃だったと思われます。
ヌマ暦
ヌマ・ポンピリウス
ヌマ暦は、第二代ローマ王ヌマ・ポンピリウスによってロムルス暦が改暦された暦です。
ヌマは治世中に一度も戦争をしなかったと言われ、内政を充実させることでローマを豊かにしました。
ヌマ歴では、ひと月の日数を29日か31日に定め、今まで暦が無かった冬の期間にも月(現在の1月、2月に相当)を定めました。
また、2年に1度、2月の日数を23日に減らし、閏月を挿入していました。
月の日数が奇数なのは、ヌマの信仰が偶数を嫌ったからとされています。
この頃も、まだ年始は3月頃でした。
紀元前153年の改暦
ヌマ暦以降、何度か改暦が行われたようですが、紀元前153年の改暦が最大の改暦と言われています。
なぜ最大かというと、年始が現在の3月1日から1月1日に変わったからです。
共和政ローマでは1年ごとに形式上の元首として執政官(コンスル)を選んでいました。
紀元前153年の執政官に選ばれた一人が、クィントゥス・フルウィウス・ノビリオルでした。
この年、ヒスパニア(現在のスペイン)で大規模な反乱が起き、執政官が軍の指揮官として現地へ行くことになります。
通常は年始の3月1日に執政官権限が与えられますが、急いで反乱を鎮圧する必要があったため、ノビリオルには1月1日から権限が与えられました。
以降、毎年1月1日に新しい執政官に権限が与えられるようになり、1月1日が年始という意識が定着していきました。
ユリウス暦
ガイウス・ユリウス・カエサル
何度も改暦が行われてきたヌマ暦ですが、政治的な理由で閏日の日数を操作するなど、暦が年を追うごとにずれていきました。
紀元前50年頃には、1月が秋に来る異常事態となるなど、暦の改ざんによる弊害が見えてきます。
そこで登場するのが、当時の執政官であるガイウス・ユリウス・カエサルです。
カエサルは、紀元前46年の暦に閏月を3月分合計90日挿入することで、ずれていた暦を調整しました。
また、2度と暦がずれることがないよう、紀元前45年からは1年を365.25日とする太陽暦に移行させました。
この太陽暦はユリウス暦と呼ばれ、後述するグレゴリオ暦を『新暦』と呼ぶのに対して、『旧暦』と呼ばれています。
グレゴリオ暦
グレゴリウス13世
グレゴリオ暦は、ユリウス暦よりさらに正確な暦です。
ユリウス暦はかなり正確な暦でしたが、天文現象に対して約128年で1日ずれるものでした。
これをマズいと思い、時の教皇グレゴリウス13世は枢機卿たちに暦法の研究を始めさせます。
なぜマズいと思ったのかというと、復活祭の日がずれてきてしまっていたからです。
キリスト教徒にとって、復活祭は救世主の復活を祝う重要な式典ですが、開催するのは春分の日と定められていました。
しかし、ユリウス暦での春分の日(3月21日)と、天文現象としての春分の日(昼夜の長さが等しい日)は紀元前45年から128年ごとに1日ずれてきたので、1500年頃には2週間近くのずれが生じていました。
復活祭を昼夜の長さが等しい日にやらないとマズい!ということで、グレゴリウス13世は改暦に取り組むことになります。
その結果できたグレゴリオ暦はとても正確な暦で、約3221年経ってやっと1日のずれが生じる精度まで上げることができました。
まとめ
現在グレゴリオ暦はカトリック諸国を始め、日本を含めた世界各国に広まっていますが、ユリウス暦など、他の暦を使っている国もあります。
グレゴリオ暦の1月1日とユリウス暦の1月1日は異なりますが、他の暦も年始は異なるため、暦の数だけ1月1日があるということになります。
グレゴリオ暦の1月1日の起源は、紀元前153年に執政官の権限付与を急いだことによる改暦が原因と考えられます。
非常に正確なグレゴリオ暦ですが、やはりずれは出てきてしまうので、3万年後にはグレゴリオ暦に代わる新しい暦が提唱されているかもしれません。