世界史 歴史

なぜウクライナ国旗の色は青と黄なのか? ウクライナ国旗の意味を歴史と共に解説

こんにちは、歴くまです!

2022年2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻は、世界に衝撃を与えました。

一方で、世界中の注目がウクライナに集まったことで、ウクライナ国旗を目にする機会が日本でもかなり増えています。

ウクライナの国旗は青と黄の二色旗ですが、この二つの色が表しているものは何でしょうか。

今回は、ウクライナ国旗の意味について見ていきます。

 

ウクライナ国旗の色

ウクライナの国旗

ウクライナ国旗には、青と黄の二色が使われています。

それぞれのカラーコード、RGBは以下です。

青(水)色 黄(金)色
RGB 0, 87, 184 255, 215, 0
カラーコード #0066cc #ffcc00

どちらも完全に青!黄!というわけではなく、少し水色、金色に近い色になっています。

 

ウクライナ国旗の意味

ウクライナ国旗の意味・由来には、大きく2つの説があります。

一つは青色が空を表し、金色が小麦を表すという説です。

確かにウクライナの小麦畑の写真を見ると、ウクライナ国旗そのままです。

そして、もう一つが青色は水、金色は火を表しているという説。

青色と金色は古代から儀式で使われていた色で、それがウクライナ国旗に使われているというものです。

これらの2つの説は、どちらも間違ってはいないと思います。

ウクライナの歴史を見ていくと、その理由が分かります。

 

歴史的に見るウクライナ国旗の由来

ウクライナ国旗の源流、キエフ大公国

タンネンベルクの戦いに参加した西ウクライナ地方の騎士たちが掲げていた旗

1000年ほど前、現在のウクライナがある地域には、キエフ大公国という国家がありました。青色、金色の旗と紋章は、この頃から使われていたと伝えられています。

初めてウクライナの二色旗が歴史的な資料に登場するのは、それから400年ほど経った1410年のタンネンベルクの戦いです。

ポーランド王国、リトアニア大公国とドイツ騎士団の間で起こったタンネンベルクの戦いには、東ヨーロッパの様々な地域から兵士が集まりました。

その中で、西ウクライナ地方から来た騎士たちが青黄の二色旗を持っていました。

ただし、この時の旗は青色と黄色が上下に分かれていたわけではなく、

青地に坂を上る金色のライオンと双頭の鷲があしらわれていました。

現在のウクライナ国旗のように、青色が上、黄色が下と明確に分かれていないため、この頃の色の意味合いとしては、古代の儀式で主に使われていた色をそのまま継承してきた可能性が高いと考えられます。

デザインが特徴的なコサック国家の国旗

へーチマン国家の国旗

ウクライナ地域の軍事的な共同体であるコサックは、長らくポーランド・リトアニア共和国に従属していましたが、コサックの反乱であるフメリニツキーの乱により、コサック国家が誕生します。

コサックの頭領はへーチマンと言われていたことから、へーチマン国家と呼ばれます。

へーチマン国家でも、青色と黄色は国旗に継承されました。

国旗のど真ん中にコサックが立っている、特徴的なデザインです。

へーチマン国家は100年ほど存続しますが、ロシア・ポーランド戦争の結果、ロシアとポーランドで分割されます。

さらに18世紀中に政治的・経済的な独立を失い、1786年のコサック連隊制廃止に伴い滅亡します。

民族運動の活発化と、国旗デザインのシンプル化

リヴィウ市庁舎で掲げられた黄青旗

近世ではロシア、ポーランド、オーストリア=ハンガリー帝国といった大国の中で生きてきたウクライナ民族ですが、1848年にヨーロッパ各国で民族運動の機運が高まり、各地で革命が起こります。

諸国民の春です。

当時オーストリア=ハンガリー帝国の一部だったガリツィア・ロドメリア王国は、現在のポーランド南部からウクライナ西部にありました。

諸国民の春の影響はオーストリア=ハンガリー帝国にもおよび、ガリツィア・ロドメリア王国の首都、レンベルク(現在のリヴィウ)では、市庁舎の上に黄色と青色の二色旗が立てられたと言います。

この旗は現在のように青が上ではなく黄色が上だったことから、やはり空と小麦というよりは、ウクライナ民族を象徴する色として黄青旗が使われたと考えられます。

そして現在のウクライナ国旗へ

現在のウクライナ国旗

第一次世界大戦の最中、ウクライナ地方にはウクライナ人民共和国、ウクライナ国、西ウクライナ人民共和国といった短命国家が次々に現れては消えていきます。

これらの国家は、どれも現在のウクライナ国旗と同じ、上半分が青色、下半分が黄色の二色旗を国旗としていました。

しかし、ウクライナにも社会主義の波が押し寄せ、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国が誕生します。

1919年に誕生したこの国家は、1991年のソ連崩壊までソビエト連邦を構成する一国家であり続けました。

国旗もソビエト色の強いものとなり、五芒星、鎌と槌が描かれ、黄色ではなく赤色が国旗の大部分を占めるようになります。

ソ連が崩壊した翌年の1992年、ウクライナはソ連からの独立を果たします。

国旗も再制定され、現在の上が青色、下が黄色の二色旗とされました。

 

まとめ

今回は、ウクライナ国旗の意味について、歴史と共に解説しました。

ウクライナ国旗を見ていると、青く晴れ渡った空と金色の小麦畑が浮かんできます。

平地が多いウクライナは農業に適している土地で、ヨーロッパの穀倉地帯と言われてきました。

しかし、ロシア軍の侵攻により、ウクライナは深刻な打撃を受けています。

一刻も早くこの戦争が終結し、ウクライナに再び平和が訪れるのを祈るばかりです。

その時はウクライナへ行き、国旗のような一面の小麦畑を見てみたいと思います。

-世界史, 歴史
-,