こんにちは、歴くまです!
第二次世界大戦での激戦地となったソ連の都市と聞いて、みなさんはどこを想像しますか?
一般的には、スターリングラードが挙げられると思います。
また、スターリングラードと比べると少し影が薄いですが、レニングラードもドイツ軍の激しい攻撃を耐え凌ぎました。
共に「グラード」が後ろにつくこれらの都市は、世界史が好きな人なら一度は聞いたことがあると思いますが、どういった違いがあるのでしょうか。
第二次世界大戦時の両都市の状況と共に、レニングラードとスターリングラードの違いを見ていきます。
二都市の比較
レニングラード | スターリングラード | |
現在の名前 | サンクトペテルブルク | ヴォルゴグラード |
人口 | 約500万人 | 約100万人 |
場所 | バルト海東部 | ヴォルガ川西岸 |
第二次世界大戦 | 包囲戦 | 市街戦 |
レニングラードはバルト海に面した都市であり、かつてはロシア帝国の首都でした。
一方、スターリングラードもソ連の工業化政策により重工業が発展した都市であり、国家指導者であるスターリンの名を冠していたことからも、ソ連がどれだけこの都市を重要視していたかが分かります。
では、それぞれの都市について見ていきましょう。
レニングラード
ピョートル大帝により築かれた港湾都市

ピョートル1世
レニングラードはロシア帝国皇帝ピョートル1世によって築かれた都市です。
かつてはロシア帝国の首都で、サンクトペテルブルク(聖ペテロの街)と呼ばれていました。
20世紀初頭、ロシア革命によりロシア帝国は倒れ、ソビエト連邦が成立します。
1924年、ソ連は町の名称をロシア帝国時代のものから改め、レニングラード(レーニンの街)としました。
レーニンはソ連建国の父であるウラジミール・レーニンを指します。
また、ソヴィエト政権はフィンランド国境に近いレニングラードから内陸部のモスクワに首都を移します。
有事の際に他国軍からの侵略により首都が危機に陥るのを防ぐためでした。
レニングラード包囲戦

聖イサアク大聖堂の近くに設置された対空砲
1941年、ドイツが突如国境を突破し、ソビエト赤軍に襲い掛かりました。
独ソ戦の開始です。
独ソ不可侵条約をドイツと結んでいたソ連は不意を突かれ、連戦連敗を重ねました。
ドイツ軍がラドガ湖に到着したことで、レニングラードへの陸路は封鎖されてしまいます。
包囲されたレニングラードで待ってたのは、冬の寒さと飢餓でした。
食糧配給は制限され、寒さを耐え凌ぐために骨董品を燃やすという有様だったと言われています。
また、レニングラード包囲戦で負傷したものの命拾いした軍人の中に、ウラジーミル・スピリドノヴィチ・プーチン(現ロシア大統領プーチンの父親)がいます。
ソ連軍は凍結したラドガ湖を渡り食糧物資を運搬しますが、ドイツ軍の攻撃による被害も大きく、危険な道でした。
1943年、ソ連軍はレニングラードを奪還する解放作戦、イスクラ作戦を開始します。
結果、レニングラードは陸路での運搬路を確保し、完全なドイツ軍の包囲から解放されました。
包囲中もレニングラードは兵器を量産し、ソ連の勝利に大きく貢献しました。
スターリングラード
ロシア南部の工業都市

ドイツ軍の空爆により荒廃したスターリングラード市街
スターリングラードはヴォルガ川西岸、カスピ海の北西に位置する工業都市でした。
現在はヴォルガ川の街を意味するヴォルゴグラードと名前が変わりましたが、一年に数日だけ街の名前がスターリングラードへ変更されるユニークな街です。
かつて首都だったレニングラードに比べると、人口も少なくヨーロッパからは遠い位置にあったスターリングラードですが、独ソ戦ではきわめて重要な拠点となりました。
ドイツ軍は石油を確保するためにバクー油田を目指していましたが、そのドイツ軍の進路を狙える位置にあったのがスターリングラードだったのです。
もしスターリングラードを放置してドイツ軍がバクー油田方面へ向かうようであれば、スターリングラードから出てきたソ連軍の攻撃により、退路がふさがれてカフカ―ス地方に閉じ込められる可能性がありました。
ドイツ軍としては何がなんでもスターリングラードを確保しなければならないということで、史上最大の市街戦と呼ばれるスターリングラード攻防戦が始まるのです。
スターリングラード攻防戦

捕虜となり強制収容所まで歩かされるドイツ兵
当初はドイツ軍が連戦連勝で、市街地の9割が占領されましたが、ソ連軍も負けてはいませんでした。
地下で抵抗組織を作ったソ連国民によるパルチザンや、熟練された狙撃兵の存在は、ドイツ軍を大いに悩ませ、市街の最深部はソ連軍によって守り抜かれました。
1942年11月、ソ連軍は大胆な作戦に出ます。
ウラヌス(天王星)作戦と名付けられたこの作戦は、市街地を包囲・占拠しているドイツ軍を逆に包囲するというものでした。
ソ連軍はスターリングラード西方で南北から攻撃を開始します。
約1週間でドイツ軍を退却させ、ドイツ第6軍10万人はスターリングラードに取り残される形になりました。
補給を断たれたドイツ第6軍は、数ヶ月粘るも全軍が降伏します。
各地でドイツ軍の攻勢に耐え忍んでいたソ連軍はこの勝利に歓喜し、以降独ソ戦は攻めるソ連軍、守るドイツ軍の戦況へと変化していくのです。
まとめ
レニングラードとスターリングラードはソ連軍によって同時期に解放され、独ソ戦の転換点になった都市です。
傑出した戦いぶりを見せたこの二都市は、他の10都市と共に英雄都市の称号を与えられています。
ソ連崩壊により都市名は変わってしまいましたが、今もなおロシアの大都市として輝きを見せています。
また、スターリングラード攻防戦で出てきた狙撃兵について、2021年に「同志少女よ、敵を撃て」という小説が出版されています。
この小説は第二次世界大戦時のソ連軍狙撃兵の少女を題材にしたもので、当時の戦場の様子や、狙撃兵を訓練する現場が臨場感たっぷりに描かれています。
ゴールデンウィークなどの長期休暇の際に、読んでみてはいかがでしょうか。