こんにちは、歴くまです。
本日8月15日は終戦記念日です。
なので、今回は私の祖父母の話をしようと思います。
父方の祖父母は亡くなっていますが、母方の祖父母は今も健在です。
祖父母からは戦争のことを、たくさん教えてもらいました。
おそらく戦争を経験した人から話を聞けるのは、私か私の子供の世代で最後でしょう。
悲惨な戦争を忘れないために、ここに祖父母の人生を書き記します。
戦争体験者の減少
私が祖父母の人生を書こうと思ったのは、あるニュースを見たからです。
毎年8月15日には全国戦没者追悼式が行われます。
そのニュースで聞いた言葉が衝撃的でした。
「今年の戦没者の妻の出席者は5人でした。」
5人、それは戦争を知る人がもうここまで減ってしまったのかと思わせる数字でした。
総務省統計局によれば、日本の75歳以上の人口は約1800万人です。
(参考:https://www.stat.go.jp/data/jinsui/2018np/index.html)
しかし、戦争で従軍した人になると、終戦当時で20歳程度と考えると現在95歳です。
95歳以上の人口は100万人にも満たないのです。
私たちの子供の世代では現在75歳の人が95歳になると考えると、従軍者どころか戦争体験者すらほとんどいなくなってしまうでしょう。
学徒出陣
第二次世界大戦末期、日本は兵力不足に陥ります。
そこで、大学生や専門学校生を徴兵する学徒出陣が行われました。
父方の祖父も、その中の一人でした。
祖父は関西の生まれでしたが、上京して大学に入学しました。
学徒出陣が行われたのは、祖父が大学で法学を学んでいた丁度そのときでした。
1943年(昭和18年)10月21日、明治神宮外苑競技場(国立競技場の前身)には7万人もの人が集まり、学徒出陣の壮行会が行われました。
祖父は文系であったため徴兵の対象となり、この壮行会に参加しました。
しかし、祖父が戦場へ行く前に戦争は終結しました。
焼け野原となった東京で、祖父は友人の伝を頼って就職します。
そして定年になるまで勤め上げ、私が生まれて間もなくこの世を去ります。
勉学ができた祖父は、平和な時代であればもっといい仕事に就けていたかもしれません。
でも、自分の仕事に最後まで誠心誠意取り組んだ祖父を、同じサラリーマンとして心から尊敬します。
日本統治時代の韓国、台湾
日本は1895年に日清戦争に勝利し台湾を、1910年に韓国を併合します。
今でこそ島国の日本ですが、大陸にも領土を持っていた時代があったのです。
父方の祖母が生まれたのは、当時日本領だった京城府(現在のソウル市)でした。
祖母の父、つまり私の曾祖父は軍人で、転勤が多かったそうです。
そのため祖母は日本、韓国、台湾の小学校を一年ごとに転校していたそうです。
曾祖父が台湾の原住民である高砂族の方々に担がれている写真を見せてもらったことがあります。
台北101など近代的なイメージがある台湾ですが、写真の高砂族の男性は上半身が裸で原住民という感じがしました。
台湾も100年前はこのような人々が住んでいたのです。
終戦後、祖母は祖父と出会い結婚、伯母と父を生みます。
祖母が亡くなったのは私が中学に上がる直前でした。
父の涙を見たのは、後にも先にもこの時だけです。
まとめ
歴史が好きだった私は小学生の頃に祖母から色々戦争の話を聞かせてもらいました。
今は前よりも知識がついたので、もっと祖父母に聞きたいことがあります。
でも、もうこの世にはいません。
もしあなたの周りに戦争を経験した人がいるのであれば、今のうちに話を聞いておいてください。
聞きたくなった時には、もういなくなっているかもしれませんから。