こんにちは、歴くまです。
『ロミオとジュリエット』など、数々の名作を残したイギリスの劇作家、シェイクスピアの代表作に『マクベス』があります。
劇中でのマクベスは、主君を殺してスコットランド王位を奪い、暴政をおこなって、すぐに滅ぼされる悪人として描かれています。
しかし、実際には17年という当時のスコットランドでは珍しく長期政権を築いた人物であり、マクベス統治下のスコットランドは安定していました。
今回は、劇中のマクベスと実際のマクベスが、どれだけ違うのか見ていきたいと思います。
戯曲『マクベス』のあらすじ
マクベスはスコットランド王ダンカンの臣下でした。
マクベスは同僚のバンクォーと歩いていると、三人の魔女に出会います。
魔女たちはマクベスには「いずれ王になる」、バンクォーには「王にはなれないが、子孫は王になる」と告げます。
けれども、魔女の予言に反してダンカン王は息子のマルカムを後継者に定めます。
予言の実現を危ぶんだマクベスは、ダンカン王を宴会に招いて寝静まったところを殺しました。
ダンカン王の息子たちは他国に亡命し、王殺害の嫌疑は逃げた王子たちにかかりました。
そして、マクベスが次の国王に指名されます。
さらに、マクベスはバンクォーが「王にはなれないが、子孫は王になる」と魔女たちに言われていたことから、いずれ王位を狙う可能性があると考えます。
マクベスはバンクォーとその息子フリーアンスに刺客を放ちますが、フリーアンスは生き延びます。
宴会の席でその報告を受けたマクベスは、バンクォーの亡霊が自分の席に座っているのを見て取り乱します。
精神的に参っていたマクベスは魔女たちのもとへ再び赴き、「女の股から生まれたものはマクベスを倒せない」という予言を得ます。
その頃、イングランドでは亡命していたマルカム王子が家臣のマクダフと共に、着々と復讐の準備を進めていました。
マルカム王子はイングランド軍の力を借り、マクベスとの決戦を挑みます。
マクベスは「女の股から生まれた者には殺されない!」と言いますが、マクダフは「私は帝王切開で生まれた!(女の腹から生まれた)」と返します。
心の支えを失ったマクベスはマクダフと戦い、殺されます。
史実でのマクベス
1040年、家臣たちの信望を失っていた従兄のダンカン1世を殺害し、マクベスはスコットランド王となります。
その3年後にはバンクォーも殺害。劇中では刺客の手から逃れた息子のフリーアンスですが、さらに4年後にウェールズで殺害されます。
ですが、フリーアンスの息子、ウォルターは生き延び、後にスコットランド王家となるステュアート朝の祖となります。
1050年にはローマへ巡礼の旅に出ます。国王が国を留守にしても大丈夫だったと考えると、マクベス統治下のスコットランドはとても安定していたと考えられます。
しかし、1054年にスクーンの戦いでダンカン1世の息子、マルカム3世に大敗し、1057に戦死します。
マクベスの死後、王位はマクベスの妻グロッホの連れ子であるルーラッハが継承しますが、即位して間もなく殺害され、マルカム3世がスコットランド王となります。
まとめ
戯曲と史実の違いを大まかにまとめてみました。
- 戯曲では治世は短期間だったように描かれているが、実際は17年も王位にいた。
- 暴政はしておらず、国王がローマ巡礼へ行けるほど統治は安定していた。
史実と物語で人物像が大きく異なる人はたくさんいますが、マクベスはその最たるものだと思います。