若い頃は賢い王様、歳をとったら愚かな王様 | 歴くまブログ

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若い頃は賢い王様、歳をとったら愚かな王様

11月 12, 2019

こんにちは、歴くまです!

若い頃は体力もあって仕事も遊びも全力投球!だったけど、今ではすっかりテレビを見ながらゴロゴロ…という方もいると思います。

王様にもそんな人がいました。若い頃はとっても賢く、内政・外交において優れた手腕を発揮していたのが、年老いてくると昔の元気はどこへやら、すっかり判断力も鈍り変な決定をしてしまう。

そんな権力者は古代から現代にいたるまで、挙げればきりがありません。

今回は古代、中世、近代と3人の皇帝、王を取り上げて、どのようにして転落の人生を歩んでいったのかを見ていきたいと思います。

ネロ

ネロ(左)とセネカ

ネロはローマ帝国の皇帝でした。

若い頃は哲学者セネカを重用して善政を敷きましたが、治世の後半はローマに火をつけて大火災を起こし、それをキリスト教徒のせいにして殺すなど、残酷な皇帝となります。

その暴虐ぶりはネロと近しい人にも向けられ、ネロの母である小アグリッピナはナポリ湾で溺死させられそうになりますが生き延びます。

しかし、ネロは追っ手を差し向けて母を殺害させます。兵士に殺される際、小アグリッピナは自らの腹を指さし「刺すならここを刺すがいい!ネロはここから生まれてきたのだから!」と叫んだと言います。

そんなネロも、最後には反逆者によって死に追いやられます。ローマから逃亡したネロは解放奴隷の家に隠れますが、追手の騎馬兵が近づく音が聞こえて逃げ場がないことを悟り、自ら喉を突いて死んだと言います。

ネロの最期の言葉は「何と惜しい芸術家が、私の死によって失われる事か!」でした。親子揃って舞台のようなセリフを最期に放ちますね…。

エドワード3世

エドワード3世の想像図
剣にはイングランドとフランスの王冠が刺さっている

エドワード3世の父、エドワード2世イングランド上最低の王と言われるほど無能で、寵臣ギャヴィストンやディスペンサー父子を侍らせて、日夜ホモォなことに励んでいました。

そんな父とフランスから来た母のイザベラの間に生まれたエドワード3世でしたが、父王が母とその愛人ロジャー・モーティマーによって廃されたため、弱冠15歳で王位につきます。

しばらくは母とロジャーが政治を行っていましたが、ロジャーがエドワード3世の叔父を処刑してしまいます。

自身に無断で処刑を行ったことに対してエドワード3世は怒り、ロジャーを処刑、母は幽閉して親政を開始します。ここからエドワード3世の輝かしい治世が始まります。

内政では国内産業を充実させ、外交では教皇庁との主従関係を解消、政治では庶民院の力を強めて議会政治を発展させ、軍事では常備軍や海軍の拡充を行うなど、あらゆる面でその手腕を発揮しました。

中でもとりわけ語られるのが、軍事的に成功を収めたことです。

エドワード3世は母のイザベラがフランス王女であったことを理由に、フランス王位を請求して攻め込みます。この母の血筋が必要だったために、ロジャーは断罪できても母は罪人として裁けなかったのです。

この王位請求から始まった百年戦争でフランス王ジャン2世を捕虜にする大戦果を挙げ、イングランドはフランス南西部のほとんどを手に入れます。

しかし、ヨーロッパでのペストの流行から、エドワード3世の治世は暗転します。王妃フィリッパを亡くし、国内も疲弊、実権は三男のランカスター公ジョン・オブ・ゴーントに奪われることになります。

長男のエドワード黒太子がフランスから帰国すると実権を取り戻します。ですが、その黒太子も父より先に亡くなってしまい、気力が尽きた王は翌年に息子の後を追うように亡くなってしまいます。

このとき、愛人であったアリス・ペラーズに看取られて亡くなるのですが、アリスは王の死体にはめられた指輪を抜き取っていきます。愛人にも裏切られる、悲しい最期でした。

ハイレ・セラシエ1世

ハイレ・セラシエ1世

ハイレ・セラシエ1世はエチオピアの皇帝です。

エチオピアの貴族の子として生まれた彼は、若い頃から頭角を現し、エチオピア各地の州知事を歴任します。

エチオピア皇帝家と血の繋がりがあった彼は皇太子となり、エチオピアの国際連盟加盟を実現させます

そして1930年、エチオピア皇帝に即位した彼は、エチオピア帝国初の成文憲法である「エチオピア1931年憲法」を制定します。

1935年、ムッソリーニ率いるイタリアがエチオピアに侵攻、ハイレ・セラシエ1世はロンドンへと亡命します。

第二次世界大戦が終わるとエチオピアに帰国し、冷戦の中でアメリカのような西側諸国、ソ連や中国のような東側諸国、イスラエルやアラブ諸国のような第三世界、そしてアフリカ諸国と積極的な外交を行いました。

しかし、国内経済は世界最貧と呼ばれるレベルにまで落ち込み、国内には不満の声が上がるようになります。

しかし、飢饉とインフレがエチオピアを襲う中、ある1枚の写真が公表されます。皇帝が肉を与えている写真なのですが…、その相手はなんと皇帝が飼っているペットのライオン!

飢饉で苦しむ人々は皇帝を非難し、皇帝の評判は地に墜ちました。なんと皇帝の孫までが皇帝に銃を突き付けて退位を迫ったそうですから、皇帝の権威なんてあったもんじゃありません。

1974年、ついに皇帝は逮捕・廃位され、翌年には83歳で暗殺されます。

個人としての能力は高かったのでしょうが、飢饉やインフレなど国内状況の悪化を隠そうとするなど、見栄っ張りなところが命取りになってしまいました。

まとめ

3人の皇帝、王を見てきましたが、治世が悪い方向に向かった原因は三者三様でした。

ネロは家庭教師であったセネカを遠ざけて暴君になり、エドワード3世は王妃と皇太子を無くして気力を無くし、ハイレ・セラシエ1世は都合の悪いことは隠蔽しようとして国民の支持を失いました。

親しい人や愛する人と別れる、周囲の環境が悪化するなど、人を悪い方向へ向かわせる原因はたくさんありますが、それらに流されない強い心を持ちたいものです。

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