こんにちは、歴くまです。
最近は日本と韓国の仲が悪くなってきていますね。
韓国が徴用工問題をぶり返せば、日本も韓国をホワイト国から除外。
それにまた韓国はGSOMIA破棄で応えると泥沼の様相を呈しています。
また、アメリカのトランプ大統領が北朝鮮の金正恩委員長と会談を行うなど、朝鮮情勢はここ数年で目まぐるしく変化しています。
では、このような情勢はどのように形成されていったのでしょうか?
そもそもなぜ朝鮮半島は韓国と北朝鮮に分かれているのでしょうか?
今回は、朝鮮半島が分断された原因を、歴史的観点から見ていきたいと思います。
朝鮮と中国の関係
そもそも、なぜ韓国、北朝鮮は独立国家として存在できているのでしょうか?
地図を見ると中国は朝鮮に比べて圧倒的に国土が広いですし、人口も桁違いです。
歴史的に見ても、何度か王朝交代や分裂はありましたが、中国大陸には巨大な統一国家がありました。
しかも朝鮮は中国と地続きです。いつ攻め込まれてもおかしくありません。
そんな環境のなかで、朝鮮はどうやって独立を保ったのでしょうか?
その理由の一つが、朝貢です。
朝貢とは、周辺諸国が中国に対して貢物を送り、中国がそれに対して返礼の品を送るというシステムです。
貢物より返礼品の方が豪華だったため、朝貢はある意味中国にとっては不利な交易でした。
しかし、周辺諸国を攻略するために軍事費を使うより、返礼品を送って手懐けた方が安上がりだったため、合理的なシステムでもありました。
歴代の朝鮮半島の国家は中国に対して朝貢し、名目的には臣下の礼をとることで独立を保ってきたのです。
しかし、朝鮮半島は二度、異民族によって征服されることになります。
一度目はモンゴルに、そして二度目は日本によって。
元に組み込まれた高麗
高麗は後高句麗の将軍だった王建が建てた国家で、現在の韓国の英語読み「Korea」の語源にもなっています。
三国に分かれていた朝鮮半島を統一した高麗でしたが、時代が進むと王室や文官ではなく、武官が政権を掌握していきます。
そんな中、朝鮮半島にモンゴル軍が襲来、首都を江華島に移すなどの抵抗を試みた高麗でしたが、最終的にはモンゴルに屈することになります。
事実上モンゴルの属国となった高麗は、太子を人質としてモンゴル皇帝に差し出し、太子が成長したらモンゴル皇帝一族の娘を娶るのが慣例となりました。
このように事実上元(モンゴル)の属国となった高麗でしたが、元の勢力が弱まってくると元に対して反旗を翻し、独立します。
しかし、元軍との戦いで頭角を現した李成桂によって高麗は滅ぼされ、李氏朝鮮が建国されるのです。
征韓論を唱えていなかった西郷隆盛
一般的に、西郷隆盛は征韓論を唱えた人物として知られていますが、実際はそうではありませんでした。
1873年、明治新政府の参議を務めていた板垣退助は、居留民を救うべく朝鮮に派兵すべきだと主張しました。
この意見に対し西郷は、「私が使節として朝鮮へ行く。もし私が殺されたら朝鮮を攻める大義名分とすれば良い。」と派兵に対しては反対します。
つまり、西郷が唱えたのは『征韓論』ではなく『遣韓論』だったのです。
しかし、これらの案は帰国した岩倉具視や大久保利通らに反対され、西郷、板垣らは下野することになります。
このとき、朝鮮に直接的な影響はありませんでしたが、後の日本による韓国併合へと繋がっていきます。
韓国併合
1897年、李氏朝鮮は国号を大韓帝国に改めます。
これは清の冊封体制から抜け出し、自らが皇帝を名乗るという、国の格を上げるものでした。
しかし、そんな大韓帝国に対し、日本は韓国を支配下に置くための根回しを始めます。
1905年に、日本は以下の3つの条約を結びます。
- 桂・タフト協定
- 第2次日英同盟協約
- ポーツマス条約
これらの条約はそれぞれアメリカ、イギリス、ロシアと結んだもので、いずれも日本の韓国保護化を承認させる条項が含まれていました。
このようにして外堀を埋めた後、1910年の韓国併合により大韓帝国は日本に併合され、消滅します。
朝鮮戦争
1945年、日本の降伏により朝鮮は日本の支配から脱することになります。
しかし、ここでも朝鮮は大国の思惑に翻弄されることになります。
アメリカとソ連は朝鮮人が樹立した国家を認めず、北朝鮮ではソ連が、南朝鮮ではアメリカがそれぞれ軍政を敷きました。
そして終戦から3年後の1948年8月15日、南朝鮮が独立し、李承晩を首班とする大韓民国が建国されます。
これに対し、北朝鮮は9月9日、金日成を首班とする朝鮮民主主義人民共和国を建国し対抗。朝鮮半島は資本主義と共産主義の対立の最前線となりました。
1950年6月25日未明、北朝鮮軍は38度線を越境し、韓国への攻撃を開始します。
不意を突かれた韓国軍は敗走を続け、一時は釜山まで追い詰められます。
しかし、アメリカ軍の仁川上陸作戦により戦況は一変、補給線が伸び切っていた北朝鮮軍は補給を断たれることになり、逆に国連軍が38度線を越境します。
国連軍は朝鮮半島のほぼ全域を制圧するものの、北朝鮮は中国の支援を受けて再び勢いを盛り返します。
結局、戦線は38度線付近で膠着状態となり、1953年7月27日に休戦協定が結ばれます。
現在も韓国と北朝鮮は休戦状態で、名目上は戦争状態にあります。
まとめ
強大な中国が隣にいたにもかかわらず、独自の文化を築いた朝鮮の国々。
しかし、近現代では日本、アメリカ、中国、ソ連などの影響を受け、現在では北朝鮮と韓国に分断されています。
統一にはまだまだ時間がかかりそうですが、東西ドイツのようにまた一つの国家に戻った例もあります。
何はともあれ、朝鮮半島の問題が平和的に解決されることを願うばかりです。