こんにちは、歴くまです。
ゴールデンウィークが終わってから、なかなかブログを書く時間が取れませんでした。
学生のときからブログを始めておけばよかった~と毎日思っています(笑)
話は変わりますが、最近はEU離脱問題(ブレグジット)で、イギリスが何かと話題ですね。
ブレグジットとは何か?どんな影響があるの?わかりやすく解説してみた
イギリスは、以下の4つ国家からなる連合王国です。
- イングランド
- スコットランド
- アイルランド
- ウェールズ
しかし、イギリスの旗であるユニオンジャックには、ウェールズの国旗が入っていないのです。
その理由は、イングランドとウェールズの特殊な関係にあります。
ユニオンジャックの構成
まずユニオンジャックがどのようにできたか見てみましょう。
ユニオンジャックの元となったのは、イングランドの「聖ジョージ旗」と、スコットランドの「聖アンドリュー旗」です。
1603年、エリザベス1世の崩御により、スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王に戴冠します。
1707年には連合法が成立、両国は「グレートブリテン王国」となりました。
このとき、先ほど述べた2つの旗を合わせた最初の「ユニオンジャック」ができます。
そして1800年にアイルランドも併合し、国旗にはアイルランドの「聖パトリック旗」が加えられます。
これが今日よく見る「ユニオンジャック」です。
ちなみに、聖アンドリュー旗と聖パトリック旗は共に斜め十字のデザインです。
そのため、アイルランドの十字を細くして、反時計回りにずらしています。
イングランドの支配下にあったウェールズ
ウェールズはグレートブリテン島の南西に位置します。
もともとウェールズは諸侯が乱立する地域で、イングランドのような王権が確立されているわけではありませんでした。
そのような諸侯の中から、北部の実力者であるスラウェリン・アプ・グリフィズが「ウェールズ大公」を名乗ります。
国内が混乱していたイングランドは、これを許すしかありませんでした。
しかし、スラウェリンは北部だけではなく南部も支配しようとしたため、南部諸侯の反感を買ってしまいます。
また、イングランドもエドワード1世の時代になると、国内も安定してきました。
エドワード1世は、逆に国内が混乱し始めたウェールズに攻め込み、完全に臣従させます。
1282年、再び反乱を起こしたスラウェリンは敗死し、これ以降ウェールズが組織的な抵抗を見せることは無くなりました。
イングランドと他の3国との関係をまとめると、次のようになります。
- 1282年 スラウェリンが敗死し、ウェールズがイングランドに服属する
- 1603年 イングランドとスコットランドが同君連合を結ぶ
- 1801年 アイルランド王国がグレートブリテン王国に併合される
このように、ウェールズはスコットランド、アイルランドに比べてかなり早い時期にイングランドに臣従しています。
ウェールズは長い間イングランドの一地域とみなされ、ユニオンジャックの構成においても考慮されることはありませんでした。
現在のウェールズ国旗
ウェールズ国旗が今のものになったのは、1959年のことです。
白と緑のストライプに、赤い竜があしらわれたデザインとなっています。
このようなデザインになった理由としては、昔の王たちが用いたから、魔術師マーリンの予言に赤い竜が出てくるからなど、様々です。
いずれにせよ、ウェールズ国旗が制定されたときは、すでにユニオンジャックがイギリスの旗として世界中から認識されていました。
まとめ
ユニオンジャックの成り立ちを見ると、ウェールズがなぜ仲間外れになったのかが見えてきました。
イギリスがEUから離脱してスコットランドが独立…なんてなったら、ウェールズの赤い竜がユニオンジャックに描かれるかもしれませんね。
他の国でも、国旗から読み取れる歴史があります。
私が最近驚いたのは、リビアの国旗が緑一色ではなくなっていたことです。
10年ほどの差しかありませんが、今の子供たちが使っている地図帳を見て、自分たちの頃とどこが変わっているか、間違い探しをしてみたいです。
(追記)
間違い探ししてみました!