世界史

タペストリーが綴るノルマン・コンクエスト ウィリアム1世によるイングランド征服

こんにちは、歴くまです!

先日、イギリスのエリザベス女王が、在位最長記録を68年に更新しました。

半世紀以上に渡り、イギリスに君臨するエリザベス女王。

では、彼女の祖先は一体どんな人々だったのでしょう?

現在のイギリス王室の開祖は、ウィリアム1世です。

もともとウィリアムはフランス王の臣下で、ノルマン・コンクエストによりイングランドの王位を奪い取りました。

今回は、バイユーのタペストリーに綴られた、ノルマン・コンクエストの物語を見ていきましょう。

タペストリーに綴られたノルマン・コンクエスト

歴史は文字による記録から、当時あった出来事を推定する場合が多いです。

しかし、ノルマン・コンクエストの場合は、刺繍に絵として記録されていました。

これがバイユーのタペストリーです。

これはウィリアム1世の王妃マティルダが、夫がイングランドを征服したことを祝って寄進したものとされてきました。

しかし、近年では、タペストリーがあったバイユー大聖堂の司教をしていたウィリアム1世の異父弟オドが作らせたという見方が強まっています。

王というよりも聖職者だったエドワード懺悔王

エドワード懺悔王

エドワード懺悔王

ノルマン・コンクエストが起こる前、イングランドはエドワード懺悔王が統治していました。

エドワードは幼いころにデーン人の侵略を逃れるために亡命していたことがあります。

その亡命地は母であるエマの故郷、ノルマンディーの宮廷でした。

エドワードはここで修道士たちと密に過ごし、聖職者としての意識を高めていきます。

そんな日々を過ごして20年以上たったある日、エドワードはイングランドを支配していたハーデクヌーズに招かれて共同統治者となります。

ハーデクヌーズは、エドワードが亡命する原因になったデンマーク・ノルウェー王スヴェン1世の孫でした。

ハーデクヌーズが亡くなると、エドワードはイングランド王として戴冠されます。

しかし、アラフォーまで聖職者として生きてきた男が、急に王になれと言われても無理な話だったようで、エドワードは聖職者としての純潔を貫き通します。

当然、世継ぎは生まれないので、王朝を継続させるには血縁者の誰かを後継者に指名しなくてはなりません。

そこで白羽の矢を立てたのが、異母兄であるエドマンド2世の息子、エドワード・アシリングでしたが、彼はエドワード懺悔王より先に亡くなってしまいます。

エドワード懺悔王は、改めてエドワード・アシリングの息子エドガーを後継者に指名してから亡くなります。

敵が次々に現れたハロルド2世

ハロルド2世

ハロルド2世

エドワード懺悔王が亡くなった後、跡を継ぐのはエドガーのはずでしたが、貴族たちは幼いエドガーに変えて、エドワード懺悔王の義兄(妻の兄)であったハロルドを王に推戴します。

ハロルドはイングランド王ハロルド2世を名乗りますが、いきなり敵が現れます。

それは、イングランド王位を狙うハロルドの弟トスティと、ノルウェー王ハーラル3世でした。

トスティとハーラル3世は、東部からイングランドに侵入。

地元の貴族をヨーク近郊で破りますが、ハロルド2世は現場に急行。

スタンフォード・ブリッジの戦いでトスティとハーラル3世を戦死させます。

休む間もなく、今度はイングランド南部のウェセックスからノルマンディー公ギヨーム2世が上陸。

ハロルド2世は反転して南下し、ヘイスティングズで両軍は睨み合います。

ヘイスティングズの戦い

ヘイスティングズの戦い

ヘイスティングズの戦い

ヘイスティングズの地形は岬の先端であり、ロンドンへと進撃するための道は1本しかありませんでした。

ギヨーム2世は、この1本道に防衛陣地を築かれては、ハロルドに勝つことはできないと考え、早期決戦に持ち込むことにします。

ギヨームが連れてきたノルマンディー軍は、騎兵と弓兵が主体で、弓兵に援護させながら騎兵で突撃する戦法を得意としていました。

ですが、ハロルドが率いるイングランド軍は重装歩兵中心、密集陣形で応じられては、騎兵突撃の攻撃力も軽減されてしまいます。

実際、戦いは膠着状態に陥り、このままでは海を渡ってきているノルマンディー軍の方が不利でした。

しかし、イングランド軍の陣形が崩れたことで、形勢はノルマンディー軍に傾きます。

戦いの最中、ハロルドは戦死。伝説では、矢で目を射られたことにより命を落としたそうです。

ノルマン朝を開いたウィリアム1世

ウィリアム1世

ウィリアム1世

ヘイスティングズの戦いに勝利したギヨームは、ウェストミンスター寺院でイングランド王ウィリアム1世として戴冠します。

ノルマンディーから海を渡ってきたウィリアムの王位は盤石なものではなく、エドワード懺悔王から後継者に指名されていたエドガー・アシリングの反抗もありました。

ウィリアムは旧支配勢力のアングロ・サクソン系の貴族の土地を奪い、ノルマン人の家臣に与えることで封建制度を確立し、国内を安定させました。

これから現在に至るまでの約1000年もの間、イングランドは外国から征服されず、後のイングランド王家は全てウィリアム1世の地を引き継ぐことになったのです。

まとめ

  • エドワード懺悔王は、王というよりは聖職者であり、後継者も幼少であったことがノルマン・コンクエストのきっかけとなった。
  • ハロルド2世は、弟トスティとハロルド3世を破るも、ヘイスティングズの戦いでウィリアム1世に敗れた。
  • ウィリアム1世は、ノルマン人の家臣たちにイングランドの土地を与えることで封建制度を確立させ、今日のイングランドの基礎を作った。

あっち行ったりこっち行ったりして戦っていたハロルド2世は、ちょっとかわいそうだと思いました。

もし、ウィリアムの軍勢があと1か月遅く到着していたら、ノルマン朝は開かれていなかったかもしれませんね。

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