こんにちは、歴くまです!
この前テレビを見ていたら、5Gの特集番組でファーウェイ(中国の大手通信機器メーカー)が取り上げられていました。
ファーウェイの広報の方が、番組スタッフに見せていたのが、一枚の戦闘機の写真です。
その戦闘機はIl-2(イリューシン2型機)、第二次世界大戦中に開発・製造されたソ連の戦闘機です。
2020年現在、ファーウェイはアメリカのトランプ政権から「5G通信網からファーウェイ製品を完全に排除せよ!」などと猛攻撃を受けています。
ファーウェイは、自分たちを「ドイツから攻撃を受けたソ連の戦闘機」になぞらえて、トランプからどれだけ攻撃を受けても、最後まで生き残るという意志を示しています。
今回は、そんなソ連の戦闘機「Il-2」について見ていきます。
WW2で活躍したソ連の戦闘機Il-2

Il-2
Il-2は、第二次世界大戦前夜の1938年、ソビエト中央設計局の設計主任であるセルゲイ・イリューシンの設計チームが開発した対地攻撃機です。
イリューシンは、第一次世界大戦中はロシア帝国のパイロットとして従軍し、ロシア革命後は赤軍の航空技官となりました。
1926年に空軍アカデミーで工学の学位を得た後に、航空機のデザインを始めるようになったそうです。
そんなイリューシンが設計し、第二次世界大戦の赤色空軍(ソ連の空軍)で採用されたのがIl-2だったのです。
それから様々な改良を経て、Il-2は初陣を飾ることになります。
1941年6月22日、ドイツが独ソ不可侵条約を破り、ソ連に宣戦布告。
バルバロッサ作戦が開始されます。
その5日後、ソ連の第4航空攻撃連隊の5機がドイツ軍を襲撃。
1機は主翼に大きな穴が開いたものの、帰還しています。
また、1943年7月のクルスクの戦いにおいては、Il-2の爆撃により、ドイツ軍の戦車部隊に200輌以上の車両を放棄させるなどの戦果を挙げ、勝利に貢献しています。
Il-2のパイロットの中には、アレクサンドル・イェイモフ大尉のように、1人で戦車を100輌以上撃破したエースも出てきました。
Il-2と後継機のIl-10は、第二次世界大戦中で10,000機以上が戦闘で失われましたが、対地攻撃により着実にドイツにダメージを与え、ソ連の対独戦勝利に大きく貢献しました。
どんなにボロボロになっても帰還するタフさ

Il-2の派生形、Il-2-37
第一次世界大戦中から、対地攻撃用の装甲軍用機は検討されていました。
しかし、装甲を厚くするということは、機体の重量を重くすることになります。
結果、装甲は頑丈なものの、運動性能が非常に低い機体が出来上がってしまいました。
ここで手を挙げたのが、先ほど出てきたセルゲイ・イリューシンです。
イリューシンは装甲を備えた攻撃機の設計案を提案してこれが認められ、開発に着手することになります。
まず、Il-2は複座型(パイロットと尾部銃手の二人乗り)として開発が進められることになります。
ですが、重量が重くなること、航続力が不足していることなどの理由から、単座型(パイロットのみ)への変更を余儀なくされます。
こうして完成した機体は、重量がなんと6トン!
装甲部分にパイロットやエンジン、燃料タンクを配置したため、パイロットは燃料に囲まれている状態でした(怖い!)。
ですが、装甲を付けた甲斐もあって、大口径機関砲の砲撃も、角度や距離などの条件によっては弾くことができました。
20mm榴弾が命中しても、装甲箇所であればわずかにへこむ程度です。
Il-2には後部座席が無く、反撃できないことから、よく敵戦闘機の目標にされて機体の損傷は激しかったそうです。
そこで、複座化したIl-2Mが作られることになります。
ですが、この機体も後部座席の装甲が薄かったことから、銃手の死傷率はパイロットの数倍に達しました。
Il-2は、その後も様々な派生形が作られ、戦後は東側諸国で使用されることになります。
イリューシンのその後

セルゲイ・イリューシン
Il-2を開発したイリューシンは、戦後になるとIl-18やIl-62などの旅客機を開発しました。
Il-18は1957年に初飛行した旅客機ですが、なんと!現在でもロシアやウクライナ、北朝鮮などで就役中だそうです。
Il-62はソ連初の本格的な長距離用ジェット旅客機でした。
東西冷戦時代、東側(共産圏)の長距離旅客機といえばIl-62、と言われるほど使用され、共産圏の要人もIl-62を政府専用機として利用していました。
現在でも、北朝鮮の金正恩委員長が平昌オリンピックの開会式に出席するためにIl-2に乗って韓国まで来るなど、こちらもIl-18と同じくまだ使用している国があります。
まとめ
- Il-2は対地攻撃と装甲のタフさで戦果を挙げ、ソ連の対独戦勝利に貢献した。
- Il-2はもともと複座型で開発が進められていたが、重量の関係から単座型となり、その後も様々な派生形が生まれた。
- 戦後、イリューシンは旅客機を設計し、Il-18やIl-62などは、開発から50年以上経った現在でも就役中である。
幾度となく撃たれても、帰還する。
Il-2を掲げるファーウェイの、「最後には必ず我々が勝つ」という意志が伝わってくるようです。
そして、HOI4の新DLCも来たようなので、ソ連プレイで航空機の開発に励もうと思います!